約束された場所でーThe "story" of Dorothy Little Happy

 僕にドロシーを語る資格なんてない。

とは思うけれど、これからドロシーリトルハッピーというアイドルについて書こうと思う。

 

ドロシーは2010年に結成された、東北・仙台発のローカルアイドルだ。2010年「ジャンプ!」でインディーズデビュー、2011年にミニアルバム「デモサヨナラ 」でメジャーデビューを果たした。しかしデビュー直前に東日本大震災が発生し、メンバーも被災。リリイベは全てキャンセルになり、地元ではCDも店頭に並ばなかった。そんな試練を乗り越え、2011年のTIFで全国のファンに「発見」され、一気に活動の幅を広げていくこととなる。

メンバーは白戸佳奈、髙橋麻里、富永美杜秋元瑠海早坂香美の5人。リーダーのかなちゃん、メインボーカルのまりちゃんの2人の年長組と、みも、るうな、こうみの3人の年下組という構成だった。

僕がドロシーを知ったのは2013年。「伝説」とも呼ばれているTIFのSMILE GARDENのステージだった。ドロシーは野外ステージであるSMILE GARDENで、この一大イベント全体を通しての「大トリ」のパフォーマンスを行った。そもそもドロシーはトリを務める予定ではなかったのだが、予定していたステージが突然の豪雨のため中止になり、急遽巡って来たステージだったそうだ。まさに「持っている」という感じだろうか。

このステージ、他の会場のライブはもう終わっているのでTIFに来ていたヲタクが一気に集結し超満員状態(嘘かホントか推定2万人いたとか)。ここでドロシーは「諦めないで」「nerve」「デモサヨナラ 」という3曲のアップチューンを披露する。この盛り上がりが凄まじかった。諦めないでの「DLH Let’s go!」に始まりnerveのエビゾリ、そしてデモサヨナラの「オレモー!」この3曲を持って来た采配も素晴らしかったし、ファンもそれに応え、祭りの終わりという感じで大爆発していた。僕はニコ生で画面越しにこのステージを見ていたのだけど、盛り上がりもさることながらその洗練さに惹かれた部分が大きかったように感じる。盛り上がる曲を歌っているのだが、振り付けも歌唱も決して大振りではなくとても丁寧で、完成度がとても高いグループだなあと思った。

この様子はYouTubeに上がっているのでぜひ見てほしい。

 

この時から僕はなんとなくドロシーを追い始めた。まだ高校生だったし、ドロシーは仙台や東京を中心に活動していたグループだったから、ライブに行くことはなく、新曲をネットで聞いたりしていたと記憶している。

 

そして2014年。ドロシーは2ndアルバム「STARTING OVER」を発表する。このアルバム、平成アイドル史に残る大名盤と言ってもいいと思う。メンバーも「自信作」と胸を張っていたが、これがアイドルのアルバムなのかと疑ってしまうくらい、完成度が高い素晴らしいアルバムだった。実際にその年のアイドル楽曲大賞アルバム部門で1位に輝いているし、収録曲の「恋は走り出した」は楽曲部門で1位になっている。いかにこのアルバムの評価が高かったかということを示しているだろう。(STARTING OVERについては別記事を作成中…今更感はあるけどね…笑)

ちょうど自分自身の大学進学によって行動範囲が広がった時期と重なっていたこともあり、この年僕は一気にドロシーにのめりこんでいった。関西で行われたワンマンに参加したり、Zepp Divercityのワンマンに参加したり。中でもドロシー史上最大キャパのライブとなった9月のZeppは素晴らしかった。

その中でも「恋は走り出した」。生バンドの演奏に乗って踊るメンバーと観客のコール&レスポンスの一体感。この「恋は走り出した」は5人ドロシーの一つの到達点だと思う。

ドロシーの魅力を一言で表せと言われたら、「丁寧さ」だと思う。今やいろんなコンセプトのアイドルがいて、盛り上がる曲で沸かせるアイドル、ロック調の曲でヘドバンしながら歌うアイドル、アキバ系もいればレトロ系、ミリタリー系なんてのもいる。売れるためには他とは違う何かが必要で、そのためにいろいろ考えるのだろう。そんな中でドロシーが選んだのは「歌とダンス」だった。その戦略はど真ん中直球ストレート、だからこそちょっとやそっとの球では埋もれてしまう。けれども彼女たちは自分たちをアイドルたらしめている「歌とダンス」で勝負した。「指先のさらに先の空間まで躍らせる」と形容されたしなやかで整ったダンス、まりちゃんを中心に、時に観客を座って聞かせることもあったひとつひとつの歌詞に情感を乗せた歌。うまい下手、というのは見る人によって感じ方が違うと思うけど、ドロシーの歌とダンスはとにかく丁寧だった、と思う。

アイドル戦国時代と呼ばれて久しいが、たくさんのアイドルがひしめく中でも、ドロシーはロコドルながら「東のドロシー」「東北の雄」と呼ばれ、その地位を不動のものにしていた。一般層に知られるまではなかったと思うけれど、例えば源頼朝が最後まで攻めあぐねた奥州藤原氏のような感じで、天下統一を目指すアイドルがいたとして「東北にはドロシーがいるからなあ」と言わしめるくらいの存在感はあったんじゃないかなと思う。

この頃のドロシーは本当に楽しかった。少しずつでも大きな会場でライブができるようになっていって、彼女たちが目標にしていた武道館も、このままいけば本当に実現できるかもしれないと思っていた。そんな飛躍の年となった2014年の暮れにはミニアルバム「circle of the world」を発表。リードトラックの「それは小さな空だった」は作詞曲の坂本サトル(彼はドロシーの初代プロデューサーであり、ドロシーの名付け親でもある。ドロシーの世界観は彼抜きには語れない)が「いろんなところで曲を書いてきたが、自分がこれまで書いた曲の中でも3本の指に入る」と豪語していたが、遠距離恋愛カップルの心が少しずつ離れていく様を丁寧に描いた名曲である。

2人の知らない風が 吹き始めた
あなたは それを止めようとはしないの?

-Dorothy Little Happy「それは小さな空だった」 

いつのまにか2人の間には知らない風が吹き始めていて、そしてその風を2人とも止めようとしない-今になって思うと、この曲が発表された半年後の未来を暗示しているようで切なくなってしまう。ドロシーが一気に階段を上ったこの年の暮れには、既に「5人の知らない風」が吹き始めていたのだろうか…。

 

そして2015年。4月に発表されたみも、るうな、こうみの「年下組」3人の卒業。3人は高校卒業を機に2014年の12月からグループ内ユニットcallme(現kolme)を結成していたのだが、今後はその活動一本でいくため卒業する、というのが理由だった。ドロシーはかなちゃんまりちゃんの2人で活動を継続する、と発表され、事実上の分裂のような形になってしまった。それはまさに青天の霹靂というもので、衝撃、というよりもう受け入れられなかった。表面的な言葉だけが紡がれはっきりと語られない卒業の理由、どうして?の答えは最後まで見つからなかった。

そして、3人の卒業ライブを迎える。会場は中野サンプラザ。ライブは、楽しかった、のだと思う。正直よく覚えていない。でもこれが究極の5人ドロシーだ、というものを見せてくれたと思う。

だからこそ、最後はきつかった。多くは書かないけど…。その時、僕の中で何かが壊れてしまった気がした。

今ならばわかる。5人とも本当にドロシーが大好きで、ドロシーに本気だった。だからこそ、譲れないものがあったのだ、と。自分たちではどうしようもない“大人の世界”ってものがあって、それに翻弄されていたのだ、と。でもその時の僕は、大好きだったものがこんな形で変わってしまうことに、耐えられなかった。もう見てられない、と思った。そして僕はドロシーを心の奥底に封印した。いつしか、曲を聞くことも、ライブ映像を見ることも、なくなった。

 

ドロシーから離れた僕は関西・京都を中心に活動していた「ミライスカート」というアイドルに通うようになった。そしてこのミラスカとドロシーは、後に不思議な縁でつながっていくことになる。

 

そして、3年の月日が流れた。

2人になったドロシーはいつのまにかまりちゃん1人になっていた。

僕は、何も知らなかった。

 

2018年、昨年の8月末の@JAM。国内最大規模のアイドルフェスに僕は来ていた。フェスはフィナーレの時間を迎えていて、僕は混まないうちに帰ろうと思ってメインのホールを出て、アリーナ内を歩いていた。その時、近くのステージから懐かしいメロディーが聞こえてきた。

その曲は「ストーリー」。名曲揃いのドロシーの楽曲の中で僕が一番好きな曲だった。

ストーリーにはドロシーのいいところが全部詰まってると思っている。瑞々しく、どこか切ない王道のアイドルソング。聞いているだけで身体が動き出してしまうようなメロディー。サビの指揮棒を振るような振り付けも大好きだった。

 

足が止まった。

 

3年ぶりに見るドロシーのステージ。まりちゃんが1人で踊っていた。後ろの方で全然見えなかったけど。懐かしさと切なさで胸がいっぱいになった。

「ストーリー」は恋する女の子の初々しい気持ちを歌った曲だけど、ライブで聞くと、まるで僕らファンがメンバーに向けて思いを伝えるような曲になる。

知りたいんだ 君が描くストーリーを
早く次のシーンを撮ってよ
想像の上の上 毎日が名場面
恋するジェットコースターは
もう止められないって感じ!
四六時中 春夏秋冬 まるごと
きみとふたりで

-Dorothy Little Happy「ストーリー」

あの頃、僕はドロシーが描くストーリーを追うのが楽しくてしょうがなかった。ストーリーを聞くたびに、ドロシーは次にどんな景色を見せてくれるのかワクワクした。そして、ずっとドロシーのストーリーを追い続けていくんだと思っていた。

ストーリーの最後はこんな歌詞だ。

嬉しい時も
悲しい時も
楽しい時も
泣きそうな時も
全部全部 一緒に感じてたいよ

-Dorothy Little Happy「ストーリー」

この歌詞を聞いたとき、胸を撃ち抜かれる思いがした。「全部全部 一緒に感じてたい」このフレーズが、自分に向かって訴えられているように感じたんだ。僕はこの3年間、何をしていたんだろう。悲しい時も、泣きそうな時も、ドロシーから目を背けていた。ドロシーのストーリーを終わったことにしてしまっていた。

 

ドロシーファンの方がこんなことをブログに書いていた。

「中野で止まった時計の針」こんなことを多くのアイドル評論家達も書いている。それは違う。止まっていたんじゃない、勝手に止めていたんじゃないか。

その通りだ。あの中野以降も、ドロシーの時計の針は動いていた。2人になっても、1人になっても、ドロシーは歩みを止めていなかった。止めていたのは他でもない、自分自身だ。勝手に見ないことにして。見ないようにして。歩みを止めたのはドロシーじゃなくて、僕だったんだ。

冒頭にドロシーを語る資格なんてないと書いたのはこういう理由からだ。僕はファンが最も彼女たちを支えてあげなければいけなかった3年間、ドロシーを見ていなかった。目を背けていた。いつのまにかかなちゃんが卒業していたことも、一夜限りで5人復活ライブが行われていたことも、何も知らなかった。知ろうとしなかった、クソッタレだ。こんな奴がドロシーの大ファンだなんて言ったら罰当たりもいいところだ。

もちろん、応援するかしないかはその人の自由だ。好きになったものをずっと応援しなければならないということはないし、それが美しいなんてこともない。でも、だけど。僕はドロシーを見続けるべきだったと、そう思う。

ドロシーを続けることを決め、歌い続けた2人に申し訳ない、ということもあるけど、実際のところ僕1人がファンを続けたところで財力もないしコミュニティもないし貢献できることなんて高が知れている。誰に申し訳ないか、と言われたらそれは過去の自分に、だろうか。ドロシーから貰えたはずのたくさんの「小さな幸せ」を失ってしまった過去の自分に。


家に帰って、もう一度ドロシーの曲を聴き始めてから、5人時代のライブ映像を見返すのと同時に、僕が知らない、2人時代のドロシー、1人時代のドロシーの新曲も聴いた。

大好きだった。

特に「バイカラーの恋心」なんて、控えめに言っても大名曲ですよ。ほんと大好き。

そう、2人のドロシーだって、1人のドロシーだって、僕はちゃんと好きになれたのだ。やっぱり大好きだったのだ。それを僕は見ないまま終わってしまった。見ようとすらしなかった。それはとても悔しいことだ。

 

もう一度、ドロシーのライブに行きたい。いつしかそう思うようになっていた。

 

時間はなかった。たった1人でドロシーを守ってくれていたまりちゃんも、年内での卒業が決まっていた。卒業公演はsold outしていたし、東京に行くだけの財力はもう僕には残っていなかった。いや、本当はまだ、ドロシーのためだけに多大な出費をすることに迷いがあったのかもしれない。

そんな時、“ドロシーとミラスカがカップリングツアーをする”という奇跡のようなニュースが飛び込んできた。

ドロシーと同様にミラスカも、メンバーの卒業が重なったことで最終的に1人になり、グループの看板は下ろさずにソロユニットとして活動していた。しかも、残った1人がどちらも「まりちゃん」というのはあまりにも出来すぎだろう。

ミラスカしかり、ドロシーしかり、メンバーが減っていくのはとても辛いことだったけれど、そのおかげでできた「縁」が僕の背中を押してくれた。よくできてるもんだなあ、と思う。

 

10月27日昼のドロシーとミラスカのツーマン、夜のドロシーワンマン、そして翌28日の草津でのフリーライブ、これが僕がドロシーのステージを見る最後の機会になった。

ライブについては多くは書かない。だけど、これだけは言える。最高に楽しかった、幸せだった!と。いろんなアイドルのライブを見てきたけど、エモさで言ったら間違いなくトップだった。

なんだか、自分がここにいることはずっと前から決まっていたんじゃないか、そんな気がした。いろんなことが巡り巡って、そして僕はここにいる。この場所は、約束された場所なんだ。ここは彼女たちが目指していた武道館じゃなくって、たった100人も入らない小さな小さなライブハウスだけど、ここで見た景色をずっとずっと覚えておこうと思った。一生、忘れたくないと思った。

強烈に記憶に残っているのは、「デモサヨナラ」だ。メジャーデビュー曲にして、10年代のアイドル界に燦然と輝く最強のアンセム。「好きよ」に合わせて「オレモ―!」と叫ぶコール&レスポンス。何度も叫んできた「オレモー!」に、この時はこれまで以上に感情が乗った。

好きよ 好きよ 今まで会った誰よりずっと
好きよ 好きよ あの日のまま
好きよ 好きよ ずっとあなたのそばにいたいけど
好きよ 好きよ デモサヨナラ

-Dorothy Little Happy「デモサヨナラ」

この歌詞は、僕らがまりちゃんに伝えたいことそのままじゃないか。「オレモー!」と叫びながら、そんなことを思った。

3年の月日が流れても、あの日のまま、ドロシーはドロシーだったこと。今まで会ったどんなアイドルよりもドロシーが好きで、本当はこれからもずっとあなたを見ていたいこと。でも、デモサヨナラなんだってこと。そんなことを伝えたくて、僕らは叫んでいるんだ。

曲のラスト、まりちゃんの「みんな、大好き―!」に応えて「俺も!まりちゃんが!大好きだ―!」と返す。ヲタクがこれだけ好きと伝えられるなんて、この曲は本当にすごい曲だな、と改めて思った。

ギリギリのところでまたドロシーに戻ってこれて本当に良かった。またライブを見ることがあるなんて夢にも思わなかった。1人でもドロシーを続けてくれたまりちゃんと、ドロシーまりちゃんを大阪に呼んでくれたミラスカまりちゃん(紛らわしい!笑)には本当に感謝しかない。おかげで、僕は一度見失ってしまった「大好き」をすんでのところで取り戻すことができた。

まりちゃんはこう言っていた。「私がドロシーを卒業しても、ドロシーの曲は残ります。ドロシーの曲が皆さんの日常に流れていたら嬉しい」

音楽のいいところは、歌う人がいなくなっても、ずっと残り続けるというところだ。きっと、ドロシーの曲はこれからも、僕の少し憂鬱な日常を隣で見守っていてくれるんじゃないかと思う。

 

ドロシーリトルハッピーの紡いだストーリー。それは決して最高のハッピーエンドでも、僕らが望んだ結末でもなかったかもしれない。それでも、このストーリーを体験できた僕らは幸せだった。今はこう言いたいと思う。

 (この文章は実話をベースにはしていますが、少なからず脚色や「盛り」もあります。あくまでフィクションじみたものとして読んでもらえると幸いです)